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物語の主人公が嗅いでいる香りが、自分自身にまで強烈に迫ってくるような作品がある。
先日ラジオで紹介されていたので、久しぶりに昔読んだ金井美恵子の『兎』が、また読みたくなって手に取った。
『兎』は、著者の金井美恵子がルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の世界観を独自の感性で再構築した物語で、幼少期からアリスが好きだっ私は、多感な思春期にあっさりとその本を手に取った。
でもその物語は、アリスのファンタジーな雰囲気はドロドロに溶けた残酷で欲望的な物語だった。
当時の私には、その物語の残酷さ、グロテスクさが際立って感じられたけど、大人になり、アロマセラピストとして読んでみると、残酷さだけじゃなく、色濃く描写された『匂い』に気づく。
残酷さの中に潜む官能的なスパイスと血の香り、その世界に一瞬だけ描写される夜風に漂う甘く豊潤な花の香り。
まるで自分自身の鼻で嗅いでいるような、感じたくなくても、感じさせられてしまうような、この物語が発する香りが絡みつき、体に纏わりついていてくる感覚になるほど、嗅覚に鮮明に訴えてくる作品です。
私が『兎』の物語からインスパイアされたブレンドデザインも紹介します
物語は、新しい家へ引っ越したばかりの「私」が、まだ家具のそろっていない殺風景な部屋から抜け出し散歩に出かけるところから始まります。
物語の冒頭からすでに、これから始まる出来事の不協和音が鳴り響いているかのように、「私」はひどく不快な気分を感じています。
そして、その得体のしれない不吉な予兆を「匂い」という言葉で表現しています。
本当にいやな気分だったのだ。眼をさましている時でも悪夢を見ているような感覚にひきずりこまれ、(中略)はっきりと形にならない幻覚のようないわば一種の匂いとでも言ったらいいのかもしれない。あるものが私につきまとっていた。突然、鼻先をかすめる見えない鳥のような、匂い。その匂いの中になにか、はっきりしない影が存在しているのがわかるのだけれど、そして、以前、その影をはっきりと見たことがあるはずだという確信はあるのだけれど、もやもやと風に流れて消えていく匂いのように、その影はあっというまになくなってしまう。
それが何なのかまったく分からなかったけれど、その匂いは一種の吐き気でもあった。匂いによって吐き気が生じるのでもなく、吐き気によって匂いを嗅ぎつけるのでもなく、匂いは私の肉体の内部から発しているのだ。
この漠然とした、目に見えない、捉えどころのない、でも確かに存在している不安の予兆を「匂い」という言葉で表現しているのは、アロマセラピストとして物語に引き込まれる冒頭です
散歩の途中で空き家の庭に迷い込んだ「私」は、一匹の『兎』に出会います。
その『兎』は普通の兎ではなく、「私」とほとんど同じ大きさをしています。急いでその兎を追いかけるのですが、アリスと同様に穴に落ちてしまい、それを見て心配した『兎』と会話をすることになります。
『兎』は、小百合という名前の少女で、精巧に作られたフードに長い耳のついた、ロンパースのような兎の衣装を着ていて、頭に被っているフードには仮面と、透明な桃色のガラスのレンズでできた眼も取りつけられているなど、細部までこだわった作りです。
少女は空き家で一人で暮らしており、そこはまるで兎の巣のように、床には兎の毛皮がしきつめられ、壁には剝ぎたての兎の生皮がとめつけられていて、獣のような異臭も漂っています。
私は毛皮の上にすわって、かぎなれない異臭に胸をむかむかさせていたのだが、少女は(中略)しきりと耳を動かしたり、後脚で耳の後ろを掻いたりしているのだ。耳の後ろの部分に痒みがあったからではなく、長い間の習慣となった兎的動作の痙攣のようなものだったに違いなかった。
この部屋の光景と異臭が、不快な吐き気を催させながらも、いったいこの場所で何があったのかと想像を掻き立てられます
そして、少女は、どうして自分が兎のような姿をし、兎として生きていかなければならなかったか、濃密な血の匂いに満ちた残酷な物語を語り始めます。
少女と父親は、今は空き家となったこの家で以前は母親や兄や姉と一緒に住んでいました。
父親は、家族からは軽蔑的な目で「飽食と睡眠を好む赤ら顔の豚」と見られていましたが、少女だけは違い、
でも、あたしは別でした。この飽食と睡眠の甘美な快楽に息を切らせ、太った腹を波打たせている父親が一番好きだったのです。
と語ります。
少女と父親には、他の家族が相いれない共通の楽しみがありました。
それは、毎月一日と十五日に、食用で飼っている兎を一匹殺して料理して食べること。
物語では、怯える兎を父親が手際よく殺して血抜きし、料理していくさまが、淡々と残酷に描写されます。
二人以外の他の家族は、小さく無防備な動物を殺して食べるという行為を、卑しく恥ずかしこと、汚らわしいと考えていて、その月に二回の二人の楽しみは、いつも家族のいない物置小屋で行われました。
でも、少女はそれを肩身が狭く感じるどころか、
中世の騎士たちの晩餐のようなはなやかさでした。
と語るほど、父親とのその時間に魅力を感じています。
この時の料理の描写も、情景とともに、まるで鼻腔に感じるのではないかというくらい、血と香辛料の香りが甘ったるく物語から漂ってきます。
青い蔓薔薇の模様のある大きな小判型の皿に、飴色に脂光りのする脚付きの兎が盛られ、そのまわりに、溶けかかったトマトや、玉ねぎ、シャンピニオンがこんもりと飾りつけられ、小屋中に湯気と香辛料と兎の血のまじった、うっとりするような匂いが充満して、中世の騎士たちの晩餐のようなはなやかさでした。(中略)食後のデザートの仕上げには、このうえない健啖ぶりをあたしたちは示して、ジャマイカ産のラム入りのココアをたっぷり飲むのでした。
欲望に任せた飽食と酒を味わいつくした後、二人は部屋に戻って眠りを貪りますが、庭を通って部屋へ行くまでのわずかな時間、物語の中のわずかな一瞬だけ、今までの欲望と官能にまみれていない香りの描写があります。
物置小屋から庭を横切って家に帰り、二階の寝室に入るまでに触れる、少しばかり冷たい外の空気は気持ちがよく、眠りを益々心地よいものにしてくれるのです。(中略)花の甘い香りが空気をしっとりとふくらませていました。
私は、この物語で唯一の、凛とした心地よさを感じさせる香りの描写が私は大好きで、まるで宝物のように感じます
その後、突然少女と父親を残して家族が家から消えてしまいます。
少女と父親の行為への嫌悪がついに限界に達して家を出たのか、神隠しにあったのか、不思議な状態のまま家族はいなくなります。
すると、二人の行為に目をひそめたり、苦言を呈す家族がいなくなったことで、ここからリミッターが外れたように、欲望のまま破滅へ向かっていきます。
二人は学校へも仕事へも行かなくなり、来る日も来る日も兎を殺しては料理して食べるようになり、やがて、体調を壊した父親に代わり少女が兎を殺して料理するようになります。
そして、次第に残酷に殺すこと自体に興奮と快楽を覚えるようになり、全裸で兎を料理するようになるのです
この時の描写も、兎の質感や血の匂いを、感じたくなくても、感じさせられてしまう程に鮮烈に描写されていて、この描写は人によっては不快に感じるかもしれないので、興味のある方だけ本で読んで欲しいと思います。
やがて、最愛の父親の病気による錯乱や死、そして「私」と少女と兎たちの運命が、まるで一つに連なってしまうような、不可思議なラストへと進んでいきます。
この物語を久しぶりに読み終えて、以前住んでいたヨーロッパでのことを思い出しました。
チェコで食べた、イースターの特別メニューだった兎肉の赤ワインソースの味や甘く香ばしい香りを思い出す一方で、スーパーでは皮をはいで内臓を取り除いた兎が普通に売られていて、兎は小学校で飼われていたり、可愛いペットというイメージがあった私にとっては、見た時一瞬ゾッとしました
隣の家の方が子どもたちと兎を外で飼っていて、「可愛いね。」と娘と話していたら、クリスマスに突然いなくなって、今思えばきっとあの兎も食用だったのだと今やっと気づきました。
兎を可愛く愛らしい存在だと感じ、食用で丸のまま売られていることに戸惑いながらも、結局美味しく食べている自分…。
誰の中にも、命を犠牲にし、飽食を貪る残酷さはきっとあるのだと感じました
不思議の国のアリスを彷彿とさせながら、血とスパイスと夜の花の香りが鮮烈に嗅覚に訴えてくる金井恵美子 作『兎』。
好き嫌いが分かれる作品ですが、短くてすぐに読めるので、興味がある方はぜひ読んでみてくださいね
著者:あまやどり
【『兎』が読める書籍】
初版本はすでに絶版になっており、なかなか手に入らないので、「兎」が収録されている書籍も紹介します。
・兎
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・小川洋子の偏愛短篇箱
私が再びこの本を手に取るきっかけとなった、毎週日曜10時よりオンエアのラジオ番組『Panasonic Melodious Library』のパーソナリティの作家・小川洋子さんがこだわりで選んだ16作品。
他の作家さんの話も楽しめておすすめ
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・愛の生活・森のメリュジーヌ
タイトルにもある、金井美恵子の代表作2つと『兎』など、金井美恵子の短編の世界に触れられる全10作。
独特の粘り気のある文体から紡ぎ出される、金井美恵子ワールドが堪能できる。
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・猫、そのほかの動物
金井美恵子のエッセイ集の中に『兎』も収録されている。
エッセイが好きな方におすすめ。
『兎』の物語が生まれたきっかけも、エッセイから知ることができる。
リンク
【アロマブレンドデザイン紹介】
金井恵美子『兎』
・ローズマリー 1滴
・クローブ 2滴
・アンブレットシード 3滴
・ベンゾイン 2滴
・ジャスミン 2滴
合計:10滴
ローズマリーとクローブで、兎の味付けに使われた香辛料の香りを、アンブレットシードのムスク香で獣の血を思わせる香りを、ベンゾインはデザートの仕上げで飲んだラム入りココアの甘い香りを、ジャスミンで夜の庭に漂う花の香りをイメージして、『兎』の世界観を香りで表現してみました。
アンブレットシードは、ムスクシードやジャコウアオイという別名がある通り、種子がムスクやアンバーグリスなどの動物性の香りに良く似ています。
植物性にも関わらず、ふわりと甘く、まろやかで官能的な香りを放ち、催淫作用や女性のホルモン調節の働きがあります。
アロマセラピストやアロマブレンドデザイナーなら、精油ボックスのラインナップに入れておきたい一本。
アンブレットシード精油(生活の木)↓
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【あわせて読みたい】
・香りが導く、アロマコラム
・ブレンドをもっと自由に、アロマブレンドデザイン部♪
・誰かに教えたくなる、アロマトリビア集
あまやどり プロフィール
メールアドレス: aroma.de.amayadori@gmail.com
アロマであまやどり インスタ
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